色々な所で、教養ある大人が読むべき本として、シェイクスピアが推されていると思います。
しかし、古典の上に戯曲ということで、ハードルの高さを感じてしまう方も多いのではないでしょうか。
しかし、読んでしまえば、その面白さに引き込まれ、あっという間に読み切ってしまうことと思います。本記事では、上がってしまったハードルを下げるべく、シェイクスピア4大悲劇の中でも最も有名と思われる『ハムレット』の紹介をさせていただきます。
ものすごく簡潔な要約 (と言うかあらすじ)
- ノルウェーを従属させていた時代のデンマークが舞台。
名君であった王が急死したことを受け、その弟クローディアスが新デンマーク王として即位し、先代王の妃ガートルードを妻に迎えていた。先代王の息子ハムレットは、母の早すぎる再婚を許せず、憂鬱な日々を過ごしていた。
ある夜、ハムレットは先代王の亡霊と邂逅し、現王クローディアスが先代王を毒殺したという話を聞かされる。ハムレットは気が狂ったふりをしながら復讐の機会をうかがうこととなり、心を寄せていたオフィーリアにも冷たく当たる。 - そんな中、旅役者の一団がデンマークを訪れる。ハムレットは、先代王が殺された際の状況に似せた芝居を演じることを、その一座に依頼する。劇を見た現王は取り乱して退席し、この様子を見たハムレットは、先代王の亡霊が語ったことが真実であったことを確信する。
劇の後で母に呼び出されたハムレットは、先代王を顧みずに現王と結婚した母を激しく責め立てる。この場面を立ち聞きしていた現王の家臣ポローニアス(=オフィーリアの父)は思わず悲鳴を上げてしまい、立ち聞きに気付いたハムレットに刺し殺されてしまう。 - 父を失ったオフィーリアは正気を失ったあげく、川で溺れて死んでしまう。このことに怒りを燃やしたオフィーリアの兄レアティーズは、現王と結託して、剣の試合の中でハムレットを殺すことを画策する。
試合当日、王が準備した毒入りの酒を誤って王妃が飲んで命を落とす。一方、ハムレットとレアティーズはともに毒を塗った剣による傷を受けてしまう。ひん死のハムレットは、毒入りの酒を無理やり現王に飲ませることで復讐を遂げ、自らも息絶えるのであった。
この本のおすすめポイント
- 古典戯曲の入門として最適
シェイクスピア、戯曲、と聞くと何かとっつきにくいもののように思えてしまいますが、本作は初めて読む古典戯曲として最適な作品だと思います。
まず、誰もが知っているような有名なシーンが多いので、話に入っていきやすいです。「生きるべきか? 死すべきか?」の独白は知らない人がいないくらい有名ですし、ヒロインのオフィーリアはNHKのびじゅチューンという番組で楽しいアニメになっていました。また、「弱き者、汝の名は女」のセリフは、機動武道伝Gガンダムの最終回でウルベ少佐が使っていました。
また、映像化も多数されているので、合わせて視聴するとイメージが深まりますし、新たな気づきも得られます。新しいところでは1990年(いや、新しくないか)にメル・ギブソン主演で映画化されています。ちなみにこの映画の監督は、リーサル・ウェポンのリッグス刑事(自殺願望持ち)役を演じるメル・ギブソンを見て、ハムレット(生きるべきか、死すべきか、が自殺を志向しているようにもとれる?)へのキャスティングを決めたそうです。ちょっと短絡的。。。 - 「尼寺の場」ごっこが楽しい。
かの有名な「生きるべきか? 死すべきか?」から始まるハムレットの独白の後に、「尼寺の場」と呼ばれるシーンがあります。
オフィーリアがハムレットからもらった贈り物を返そうとすると、さすがにカチンときたのか、ハムレットの言葉は次第にヒートアップしていきます。その中で「尼寺へ行け」という謎の提案が、見開き1ページの中で5回も繰り返されます。鬼気迫るハムレットのセリフに交じる「尼寺へ行け」が何とも滑稽で、非常に印象的なシーンになっています。
私は、娘(6才)が駄々をこねて何を言っても聞き分けてくれない時に、「尼寺へ行け」を連呼して一人で遊ぶことがあります。これをやっていると、娘も次第に諦めてくれますし、私自身の怒りも収まってファニーな気分になってきます。皆さんも、子育てライフハックとして、是非尼寺の場ごっこをやってみていただければと思います。
教養王のきづき (と言うか考察)
- 何故、ハムレットは気が狂ったふりをしたのか?
先代王の死の真相を知ったハムレットは、気が狂ったふりをしながら復讐の機会を伺います。しかし、何故ハムレットは気が狂ったふりをしなければならなかったのか?それが問題です。
相手を油断させて情報を聞き出すことや、自信の行動の不審さをカモフラージュすることなどが目的だと考えられる所ですが、ハムレットが気が狂った演技をすることで何か得をしているようには、どうしても見えないのです。
ちなみに狂人ハムレットが取った行動としては、
・オフィーリアにちょっかいをだした。
・ポローニアスをからかった。
・再びオフィーリアにちょっかいを出した。(尼寺)
・現王クローディアスに芝居を見せながら、オフィーリアにちょっかいを出した。
・母である王妃ガートルードを、泣くまで罵った。
・それを盗み聞きしていたポローニアスを、うっかり刺し殺した。
等が挙げられます。正直、オフィーリアにちょっかいを出してばかりで、「狂気を装いながらうまく立ち回っている感」はゼロ。控えめに言って、駄々をこねる子供のようにしか見えません。
思うに、敬愛する父王が亡くなったこと、母が叔父と結婚して幸せそうにしていることに対する不満が募っている最中に、父王の仇討ちという大事を成し遂げなければならなくなったハムレットは、相当な精神的重圧(=ストレス)を受けることになったはずです。
そんなハムレットは、狂人を装うと言いつつ、子供のように勝手気ままに振る舞いストレスを発散させることで、何とか重圧に押しつぶされずにすんでいたのではないでしょうか?
言い換えると、「生きるべきか? 死すべきか?」 この問いに答えを出せなかったハムレットは、狂気を装いながら生きるという第3の選択、逃げの一手を選んだのではないでしょうか?
しかし、この偽りの狂気の代償として、ハムレットはオフィーリアを永遠に失うことになるのです。。。 - 「覚悟がすべてだ。なるようになればよい。」
狂気を装いながら父王の仇討ちの機会をうかがっていたハムレットですが、仇討ちを果たすことはできないばかりか、自らの行動から最愛のオフィーリアを死なせてしまいます。
良かれと思い、考え抜いて行動したことが実を結ばず、逆に最悪の結果をまねいてしまった。
この経験からハムレットは、人間の卑小さ・非力さと同時に、神の摂理の偉大さを嚙み締めることになったのだと思います。
そんな所に、王からの使者がやってきて、オフィーリアの兄 レアティーズと剣の試合を行うことをハムレットに命じます。
どう考えても罠としか思えない状況ですが、ハムレットはこれを受けて立ちます。
策を弄することはやめ、目の前の状況(いま、ここ)に対し最善を尽くし、あとは結果を天に委ねる。そのような境地にハムレットは至ったのだと思います。
私たちは、自分の行動はコントロールできるけど、その結果はコントロールできません。
コントロールできない結果を気にすることはやめ、いかに最善の行動をとるかにのみ注力する。
こう考えることで、人生はいくらか楽なものになるのではないかと思います。
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